誠実さが報われない世界
だいたい、ドラマとか小説なんかで「誠実」な人間が主役で頑張っているっていうのは、すごく共感するもんだ。でも現実は違う、誠実な人はうまく腐りきった「普通」に溶け込めず、周りはそれを悪意をもって笑う。(まぁ本当に完全に誠実な人なんて現実で見たことないけどね。)
この二つ何が違うってたぶん距離なんだ。ドラマとか小説っていうのはすごく遠くて傍観者としてそこに自分を重ねられる。でも現実として、そういう人が目の前にいても、自分はそれに向かい合っているいわば出演者で、しかも「脇役」になってしまう。だからその人に自分を重ねられないし、むしろ無意識に嫉妬したりして悪意を向ける。(実際はその時点で「脇役」にもなることができない存在であることを分からないことが多い)
普通の人は他人が共感できるような見かけの誠実さと、本音の悪意を同時に持っていて、使い分けている (それが悪いわけじゃない。程度の問題なんだ)。誰かがいなくなっていきなり饒舌になって悪意を出し始める人、そういう人たち。それが普通だから、そうしないとうまく生きていけない。でもたぶんその見かけの誠実さの中で何か感じてそういうモノガタリに共感するんだろうけど。
その上で、よくわからないことがいくつかある。なんでドラマとか小説なんかで、そういう誠実さが報われるストーリーが多いのか。つまりおそらく「望まれている世界」がそういうものにも関わらず、なぜ現実はそうじゃないのか。モノガタリのヒーローはできるだけ全ての人を救おうとするのに、なんで現実では誰かを蹴落としてヒーローになろうとするのか。
ずっと昔からこういう (こういう?) 悪意ドリブンなシステムがこの世界で動いているからには、おそらくそうなるのが自然だった、ということなのだろうけど、その自然さってどっからくるんだろうって思う。どっかで変えられなかったんだろうか。これから変わっていくだろうか。何千年たっても変わらない気がする。むしろ今より悪意に満ちるんじゃないかとか漠然と思う。
というか、モノガタリでも未だに「俺が一番になる」とか「屈辱を晴らす」みたいな悪意ドリブンでネガティブな動機なのも腐るほどあるから、あーというか、そういうののほうが多いのかもしれない。っていうが多いのかな。多いからこんなシステムなのかな。いや逆だけど
関連エントリー
- とらどら2 そういえば先週とらドラ2! を読んだ。 これの著者って女性なのだろうか。田村君もそうだけど、少しズレた位置を微妙についてくるよなぁ。 手乗り...
- ✖ 何度も書きまくっているけど、苦しくて辛い努力をしました! だから今楽しいです! っていうの、とても嫌いなのだ。そういうこと言わずにただ努力を...
- ✖ 結構、最初に読んだときはそれほど印象に残らなくてブクマとかしないものでも、ずっと頭に残っているとても大事なリソースというのがあって、そういう...
- ✖ 他の人が頭の中でどういう風にモノを考えているのかってよくわからないのだけど、すくなくとも僕の場合は、いつも誰かに何かを語りかけるような感じに...
- タイムトラベラーの固有時間 いやだってタイムトラベラー自身の時間は進み続けてるんだから過去に戻るっていうより、過去のように見える別の世界に移動するってほうが正しいっつう...