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他人に対する信用というものが実感としてほとんどない割には、微妙なところで「このぐらいなら信じても良いだろう」と思い、その度にことごとく裏切られるので、余計他人が信用できなくなるという悪循環がある。これは単に自分が「信用する」という判断のしかたが間違っていることに他ならないんだけど、どうしたらいいのか全く分からない。
全く信用しないで生きていこう、というのは社会的には無理だ。どこかで線をひいて「ここまでは信用しても良いだろう」というのを自分の中で他人一人一人について見つけなければならない。例えば「技術的には信用できるが、人間的には信用できない」というのはありえるし「センスは信用できるが、技術的には信用ができない」とか「成果物は信用できるけど、言動は良く変わって信用できない」とか、いろいろある。
人を見る目というのは、誰かに頼ることのできないもの (だってその誰かを信用できるかなんてわからないからだ) で、自分でどうにかするしかないのだけれども、それを鍛える方法を発見することができない。
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