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人が写ってる写真を写真展とかで見ると、これは写真作品なのか、ともやもやする。それは当然もちろん間違いないのだけれど、顔の印象の大部分を支配するのは被写体の顔 (=DNA) だし、次に支配的な表情を生みだすのはコミュニケーション力であって、光を写す、写真そのものを使った表現ではないじゃないかと思ってしまう。
とはいえ、じゃあ他のものはなんなのか、例えば風景写真はどうなのかと考えてみても、それも自然を借りて写しているだけだし、なので単に自分が、「生まれもった才能」と「コミュニケーション力」というものを嫌っているというだけだと思う。
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